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方軍氏「中国を侵略した元日本兵が最も望んだのは中日の平和共存」

中国作家協会の作家・方軍氏

 「七七事変」(盧溝橋事件)76周年を前に、中国作家協会の作家・方軍氏が人民網に招かれ、抗日戦争(中日戦争)に参加した元中国兵と中国を侵略した元日本兵の状況、これまでの著作などについて紹介した。

 方氏は1991年から1997年まで日本に留学。その間、中国を侵略した元日本兵複数を取材して『私が出会った鬼子兵』を出版した。帰国後も繰り返し訪日し、中国を侵略した元日本兵を取材した。元日本兵12人が方氏を通じて中国を訪れ、中国人民に謝罪した。

 中国を侵略したこうした元日本兵に言及した際、方氏は戦争に対する日本全体の見解はいくつかに分かれるが、田中角栄元首相、大平正芳元首相、中曽根康弘元首相を含め、戦争を自ら体験した人はみな戦争を嫌悪していると指摘した。

 方氏によると、中曽根元首相は当時海軍中尉で、同級生42人のうち中国侵略戦争で24人が死亡した。田中元首相は戦争中、関東軍の騎兵に所属しており、部隊が東北に上陸して、河北まで一気に戦い進んだ時点で高熱を発し、病人として日本に送り返された。田中元首相もかつては中国侵略日本軍の兵士だったが、後に中日友好に多大な貢献を果たした。大平元首相は当時特務機関の頭目だったが、彼も後に中日友好に尽力し続けた。彼が取材した中国を侵略した他の元日本兵もみな、中日間に再び戦争があってはならない、戦争は問題の解決にならないし、いかなる問題も解決していないと語った。

 方氏は次に『謝罪に来た鬼子兵』を執筆する予定だ。中国侵略日本軍の元兵士の中には北京の盧溝橋で跪き、南京で跪き、彼らが殺害した新四軍の墓碑を建て、懺悔した人が多くいる。こうした元兵士の半数はすでに死去したが、その思想は残っている。方氏は山崎宏という名の元日本兵に言及した。山崎氏自身は医師で、部隊について中国へ来た後、血なまぐさい虐殺を受け入れることができず、逃亡した。だが戦火の激しい当時、山崎氏は結局帰国できず、抗日戦争終結後も山東省済南市に留まった。彼は「私は死ぬまで医師を続け、罪ほろぼしをし、私自身の実際の行動によって中国人に罪ほろぼしをしなければならない」と考えた。こうして山崎氏は済南市でずっと医師を続けた。しかも小児科の名医で、現地の多くの父母が山崎氏の名声を聞き、子どもを抱いて受診に訪れた。山崎氏は105歳で逝去した際、自らの遺体を中国の医療機関に献体した。

 方氏は「日本人は、右翼分子を含め、戦争に参加した元日本兵の考え方や思想を見てみるべきだ。田中元首相、大平元首相、中曽根元首相といった戦争に参加した日本上層部が中日友好の推進という歴史的過程でどのような事をしたのかを見てみるべきだ。特に現在の日本の為政者は先達の行なった事や思想を総括してみるべきだ」と述べた。(編集NA)

 「人民網日本語版」2013年7月7日

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