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各紙による論評 2002年8月20日、「華商報」が初めて「自宅でのアダルト映画観賞・不正逮捕事件」を報道して以来、全国のさまざまなメディアがこの事件に関する評論を発表した。それらの評論を見てみよう。 1.自宅でのアダルト映画鑑賞は道徳とは無関係 アダルト映画を鑑賞するかどうかということで、一般大衆の道徳レベルを推し量ることはできない。充実した性生活の追求は、夫婦生活の重要な一部であるべきだ。さらに、どの程度の内容が「アダルト」であるかという判断について、統一的かつ明確な基準はない。このような行動が違法であるというのであれば、多くの人々が法的処分を受けなければならず、社会的安定は損なわれるだろう……。−−「中国青年報」2002年8月23日 2.公民に関する権利に関心を持とう 近代的な法治社会で、政府と公民の関係は、憲法とそれに定められた権力と権利の関係に基づくものであるといえる。つまり政府と公民の関係は、「ヘビとカエル」の関係ではなく、「平等な兄弟」のような関係であるべきだ。政府は公民に対し法的措置を行使する前に、憲法で保証された公民の権利に十分な関心を寄せるべきである。そうでなければ、職権を超え、職権濫用の領域に足を踏み入れ、公民の権利を侵犯し、公民の人身と財産に不必要な損失をもたらすことになる可能性もある。「自宅でのアダルト映画鑑賞」では、政府はこの事件により映し出された公民の権利に対して、強い関心を寄せるべきだ……。−−「中評網」2002年9月 3.「アダルト映画鑑賞事件から見る、刑事処分執行制度改革」 この事件で被害者の男性は拘留され、15日間拘束され、家族は不安と焦りの日々を過ごした。公安機関の拘留は正しいものだったのか? 最初の拘留について筆者は、過度かつ不必要な強制措置であったと考える。取り調べのための拘留を減らそうという動きは、刑事立法の流れのひとつである。「有罪判決が確定するまでは無罪である」という「推定無罪の原則」は中国でも確立されている。世界刑法学協会によれば、推定無罪の解釈のひとつは、「取り調べのための拘留は事件の具体的情況により、裁判所が判断し、命令を下す」というものだ。この事件における逮捕は、実際、中国の「刑法」に記された基本原理に反するものである。刑事責任を追及するのであれば、「刑事訴訟法」第51条の「立保証」が適用されるべきである。今回の事件での逮捕は行き過ぎたものであり、不必要な強制であった。われわれはは「逮捕」という不必要な監督措置に対して憂慮の念を抱かざるを得ない……。−−「厦門(アモイ)日報」2002年11月29日 4.「自宅でのアダルト映画鑑賞事件で見る『無害の原則』」 当事者夫婦によるアダルト映画鑑賞が家庭内に制限されており、他人を傷つけるものでなければ、成人が自らの行動の自由を享受し、それに対する責任を負う場合、他人にはその行為に干渉する権利はない。これを「無害の原則」と呼ぶ。 法律では夫婦による自宅でのアダルト映画鑑賞についていかなる規定もなく、もちろん違法ではない。他人を傷つけるものでなければ、警察には関与する権利はない……。−−「中評網」 5.「精神の自由に関する問題をどのように解決するか」 健全な社会は、精神の自由に関する問題に、法律が直接介入することを強く拒むものである。法律の本来の役割は、精神の自由を制限するものではなく、精神の自由を保障するものであり、精神の自由を保障することにより、人と社会の発展を実現するためのものである。これが「成熟した法律」、「近代的な法律」、「科学的・人文的法律」である。この事件の結果は、中国の法律が精神の自由に関する問題に介入しないこと、「文化大革命」に別れを告げたこと、また現代化に向かって進んでいることを証明したといえる……。−−「南方都市報」
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