日本語版   中国語版       2003827日 1400
 

  黒竜江省斉斉哈爾(チチハル)市で8月4日に発生した旧日本軍の遺棄毒ガスによる中毒事件で、市民30人が被害を受け、うち8人が重症、2人が危篤となっている。今回の事件は被害者の多さ、病状の深刻さの双方から見て、建国以来まれなものだ。

 関係者によると、中国では既に10余りの省で旧日本軍が遺棄した化学兵器が見つかり、これまでに約2千人の市民がこの平和な時代に被害を受けている。さらに恐るべきことは、旧日本軍がかつて秘密裏に埋蔵して遺棄した化学兵器の一部が依然発見されていないことだ。まだ発見できていない化学兵器がどれだけあるのか。どこに遺棄されたのか。それを物語る資料はなく、発掘作業が困難を極めている。経済発展に伴い、都市開発建設が急ピッチで進む中、中国の市民が再び毒ガス弾の犠牲になる事件が発生しないとは限らない。


 8月10日19時までに、チチハル市解放軍203医院は今回の「8・4中毒事件」の被害者34人を治療した。このうち、李貴珍さんは毒ガスタンクに接触していた時間が最も長く、中毒症状が最もひどい。李貴珍さんの妻、劉愛平さんによると、夫婦は数年前に河南省からチチハルに移住し、廃品回収で生計を立ててきた。8月4日、李さんは200元で金属製の缶5本を購入し、廃品買い取り所で切断したところ、漏れ出した液体でやけどを負った。

 9歳の女児、高明ちゃんは最も若い被害者だ。毒ガスの液剤に汚染された土の周辺で友達と遊んでいたとき、不幸にも被害に遭った。彼女の左足には黄色い水泡ができ、母親が抱くか背負わないと移動もままならない状況だ。いつも薬を交換する際、苦痛の余り悲痛な叫び声を上げる。高明ちゃんの両親は失業者で、家庭は貧しく、母親の陳淑霞さんは当日120元の借金をして子供を入院させた。これまで子供に果物さえ買ってやることができず、泣いている母親を見て、高明ちゃんは「もしわたしがおてんばでなければ、土で遊んだりしなかったし、お母さんを悲しませることもなかった」と自分を責めている。

 関係者によると、今回の事件が発生する以前にも、中国国内では日本が遺棄した毒ガスで2千人前後が相次いで被害を受け、その大部分は自分で生計を立てられない状況だという。 

 1974年10月20日、黒竜江省航道局(航路局)の職員、李臣さんとその他数名の作業員はちょうど船上で作業を行っていた。すると突然泥を吸い上げるポンプが故障したため、彼らは手動クレーンでポンプを吊り上げた。このとき、ポンプが毒ガス弾を吸い込んでいると誰が考えただろうか。壊れた砲弾から漏れた黒い液体は、李さんらの皮膚にかかった。

 

 毒液に侵された李臣さんの両手と全身には大小数多くの水泡ができ、頭にはニワトリの卵ほどのものもあった。手にできた水泡はブドウ状で、破れると黄色い液体が飛び出した。李さんは入院治療の過程で、皮膚が繰り返し糜爛(びらん)し、はさみで患部を切り取り、手をアルコールや生理食塩水に浸して消毒するといった治療を受けた。しかし、症状は繰り返し現れ、度重なる入院を余儀なくされた。李さんは今でも後遺症に苦しんでいる。

 李さんが最初に退院したとき、職場の同僚や近所の人はみな感染を恐れ、彼を遠ざけた。2人の娘も学校でクラスメートから避けられた。家庭生活も李さんの収入が断たれたため困窮を極め、次女は中学二年のときに学校の雑費が払えず退学せざるを得なかった。そうした状況に耐えかねた李さんは瓶入りの毒薬DDVPを4本飲んで自殺を図ったが、発見が早かったため、三日三晩の治療で一命を取り留めた。


 黒竜江省社会科学院副院長で、日本の遺棄化学兵器問題を研究する専門家、歩平さんによると、戦時中に人畜を毒殺したり、生態を破壊した有毒物質を軍用毒物と呼ぶ。そして、軍用毒物を搭載した砲弾、ロケット弾、ミサイル、地雷などを総称して化学兵器と呼ぶ。化学兵器は主に毒ガス弾だが、煙幕剤や燃焼剤を装てんした各種の武器も含まれる。これまでに、こうした毒物被害を治療する有効な方法や薬品は開発されておらず、人が一度化学兵器に侵されると、死に至るか、かなりの苦痛に耐えなければならない。化学兵器はその危険性が大きいため、核兵器や生物兵器とともに国際条約で使用が禁止されている大量破壊兵器に位置づけられている。

 化学兵器の危険性は早くから世界の関心を集め、1925年にジェノバで戦時下における窒息性、毒性ガスおよびその他気体、細菌の使用を禁止する議定書が採択された。しかし、旧日本軍は秘密裏に広島県大久野島で化学兵器の生産準備に入った。1927年に旧陸軍は全島民を移住させ、2年間をかけ巨大な化学毒物、化学兵器の生産工場を建設。1929年から生産を開始した。旧海軍も1943年から神奈川県寒川にある相模海軍工廠で化学兵器を生産した。資料によると、陸海両軍が生産した化学兵器は合計で7300トン余りに上る。

 第2次世界大戦中、日本は中国に対し繰り返し化学兵器を使用し、終戦時にそれを川に投棄したり、地中に埋めたり、もしくは通常兵器とともに倉庫に放置したりした。中国側の関連統計によると、中国国内には既に知られているだけで旧日本軍が遺棄した化学砲弾が約200万個存在するとされる。日本側の統計でもその数は70万個前後とされている。

 これらの遺棄化学兵器は「貯蔵」型の設計ではないため、表面に油膜による保護を施しておらず、腐食がひどい。このため、機械による自動処理ができず、長年地下に埋もれていた結果、腐食により毒剤が漏れ出すケースもある。また、爆薬にはまだ爆発の危険もある。このほか、中国に遺棄された化学兵器はおう吐や糜爛を招く毒物を使用したものが主体で、この2種類の毒物には人体に非常に有害で深刻な環境汚染を招くひ素が含まれている。ひ素は非常に分解しにくいことで知られる。化学兵器の処理技術としては、砲弾分解、毒剤無害化、環境保護という3つの段階がある。しかし、毒剤無害化には特殊な技術と設備が必要で、現在はまだ手探りの状態にある。

 歩平氏は「日本軍が秘密裏に埋蔵し遺棄した化学兵器の一部はまだ発見されていない。既に発見された毒性弾頭にも有効な処理手段がなく、大きな問題だ。もし、毒剤漏れを起こせば、地元住民の生命や財産、そして生態環境に想像できないほどの危害を及ぼしかねない」と懸念する。

 日本は戦後、一貫して化学兵器の研究と遺棄を否定し続けてきた。しかし、1991年に事実や国際的な圧力を前に問題の存在を認めざるを得なくなった。1999年7月30日に中日両国は中国における遺棄化学兵器の処理に関する覚書に署名した。日本政府は覚書の中で、国際的な義務を誠実に履行し、遺棄化学兵器の処理と廃棄に必要な一切の資金、技術、専門家、設備、その他の物資を提供すると明確に表明した。作業は原則として2007年4月までに終えることになっている。しかし、現時点で処理が完了したのはごく一部にすぎない。


 「8・4中毒事件」の被害者家族は政府の事故救援小委員会に対し、旧日本軍の侵略行為を断罪し、日本側に法律に基づき釈明を求める意向を表明した。

 これに先立ち、黒竜江省では18人の被害者が憤然として法律の剣をかざし、1996年12月と1997年10月にそれぞれ東京地裁に日本政府の謝罪と賠償を求める訴訟を起こしている。被害者の弁護を務める日本の著名な弁護士、尾山宏氏は「今回の訴訟は人類の未来に捧げるものだ。原告は中国の戦争被害者の一部にすぎないが、代表訴訟的な性格を帯びている。もし彼らが勝訴すれば、戦後補償に関する立法に弾みが付くことになる。それによって、多くの被害者が救済され、日本人の良心が世界に示されることになる。これは日本人の真の歴史認識と価値観に絡む問題だ」と話している。

 中国側の弁護士、蘇向祥氏は裁判所に103点もの証拠を提出し、中国を侵略した旧日本軍が中国市民に与えた被害と日本政府の逃れがたい責任を弁解の余地がない形で証明している。同時に日本で化学兵器の歴史を研究する歴史学者、吉見義明氏、中国の戦場で実際に化学兵器を使用した経験を持つ元兵士、鈴木智博氏、大久野島毒ガス資料館の村上初一元館長らが証人として法廷に立った。

 今年5月15日、中国側の原告第2陣に対する一審判決が東京地裁であり、判決は日本が侵略戦争終結後に化学兵器を中国に遺棄し、原告に被害を与えた事実を認定した。しかし、日本政府は主権が中国に及ばず、遺棄された毒ガス兵器を回収することができなかったばかりか、その調査を行うことも困難だったとして、日本政府は法律上の責任を負わないとの判断を下した。

 この不公正な判決は直ちに強い反発を招いた。中国の被害者団体を支援する日本側の市民団体代表、矢口仁也氏は判決後の報告集会で、「私は40年以上教育に従事してきたが、教室では学生に対し、誤ったことをしたら、それを必ず認めなければならないと教えてきた。しかし、われわれの国は過ちを認めないばかりか、事実を歪め、道理に反して責任を回避している。日本国民の1人として、中国の被害者にどのように謝罪したらよいか分からない」と述べた。

 5月23日、中国外交部の章啓月報道官は記者団の質問に答え、日本政府は中国に遺棄した化学兵器の問題について、逃れがたい責任を負わねばならないとしたうえで、中国政府はこの問題について、日本政府に対し重ねて立場表明を行い、日本政府が歴史に対し責任ある態度で誠実に対処し、妥当な形で問題処理を行うよう求めてきたことを強調した。

 「8・4中毒事件」を巡っては、中国の外交部担当職員が日本側と積極的に交渉を進めているところだ。中国側は現場処理、治療や人的被害について、日本側に賠償要求を行った。原告第1陣12人に対する判決は9月に東京地裁で言い渡される。

 確固たる証拠は山のようにあり、日本政府はその責任を逃れることはできない。訴訟に参加した被害者の張岩さんは「われわれには強大な祖国がついている。われわれの周囲には中日両国の平和を愛する人々がたくさんおり、最後の勝利を信じている」と話している。


 

 
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