日本語版   中国語版       2004年4月20日 
 

  1世紀以上にわたり、中国人の留学活動は勢いがすさまじく、盛観を呈している。留学生は、より理性的でより開放された心理状態を中国にもたらし、中国の進歩を推し進める重要な動力となり、国際文明との融合に向けた中国の足どりを加速させている。

 「中国の留学史において、軽視できない人物が一人いる。その人こそ米国で完備された大学教育を受け、学位を取得した初の中国人である容コウ氏だ。」中国留学史を10年以上にわたり研究している、北京師範大学の劉志強教授は説明する。容氏は留学を終え帰国した後、1872年に児童120人を米国に連れて行き勉強させた。これが中国初の留学生グループである。腕の高い鉄道技師である・天佑氏もその一人だ。

 中国の現代文明発展の歴史を見ると、留学帰国者が果す役割は全局面を左右するほど大きいことがすぐにわかる...全文>> 

容コウ

・天佑

竺可

梅貽g

胡適


 中国では、1978年の改革開放後の25年間で、国外への留学生は58万人を超え、うち15万人が学業を終えて帰国している。留学帰国者は、教育、科学研究、ハイテク産業、金融、管理などの分野で輝かしい功績を打ち立てている。

 中国はこれまで、「留学を支持、帰国を奨励、行き来は自由」を留学事業の方針として徹底的に実行しており、留学生の帰国を促すための一連の政策を相次いで打ち出している。このうち、「留学帰国者の科学研究スタート基金」は1990年に設立され、資金援助額はすでに3.4億元に達している。「世紀にまたがる優秀人材育成計画」は1993年にスタートし、これまでの資金援助額は1.7億元に達する。「長江学者奨励計画」は1998年にスタートし、海外への留学経験のある学者計410人が、特別講師や客員教授として招聘され、その数は全体の91%を占める。

 中国経済の急成長が続くなかで、留学帰国者は毎年13%増加している。全国60カ所以上の留学経験者起業地区には、留学帰国者によって5千社以上の企業が創設され、年間生産額は100億元を超える。留学帰国者企業が集中する北京の中関村科技園区(ハイテクパーク)では、留学帰国者企業が同園区の企業総数の6分の1を占める。留学帰国者の半数以上が科学技術で成果を上げており、この成果のうち44%は特許を取得している。(写真は北京海淀留学人員創業園にある中関村創業ビル)


 中国の留学生組織「欧米同学会」の創立90周年祝賀式典が03年10月8日北京で開かれ、胡錦涛・国家主席(中国共産党中央総書記)が講演した。主な内容は次の通り。 

 実践が証明するように、わが国の多くの留学生は祖国、人民、民族のために功を立て業績を残そうという大志を持っている。これは国家の貴重な財産、わが国の人材資源の重要部分であり、わが国の社会の発展と進歩を推進し、中華民族の偉大なる復興を実現する重要な力だ。 

 ここでわたしは、留学生のみなさんに次の3点を望む...全文>> 


 アヘン戦争の後、中国はひどく侮辱され、一部の有識者は洋務を推進し、留学ブームは高まっていった。1872年には、米国で教育を受けた中国初の留学生である容コウ氏による「西洋の学問を次第に東洋へ」との主張により、清朝政府は120人の児童を米国に派遣し、これが中国初の留学生グループとなった。

 1895年の日清戦争敗戦後、一部の若者は日本の強大さの理由が西洋の文化と科学技術を学んだ明治維新にあることに気付き、「日本留学ブーム」が生まれた。1907年には、日本への留学生は2万人近くに達した。1909年には、米国政府が返還した「庚子賠償金」の一部で、米国留学への予備校として「清華学堂」が設立され、その後今度は米国留学ブームが生まれた。この米国留学者のうち、著名人には梅貽g氏、趙元任氏、胡適氏、竺可骼≠ネどがいる。

 第一次世界大戦の後、日本軍の中国侵略に拍車がかかり、日本への留学ブームは次第に下火になっていった。中国の若者らは、西洋文化の探求を渇望し、フランスの自由・平等・博愛の精神をうらやましく感じ、今度はフランス留学ブームに火がついた。この後、中国の革命のなりゆきが発展するにつれ、特に第一次国共合作では、孫中山が「ロシアを師とする」との方策を発表した後、ロシア留学ブームが起こった。

 中国は1949年以降、ロシアに大量の留学生を次々と送り、新中国の重要な建設者とした。

 1978年の改革開放後25年にわたり、中国には相次いで3度の留学ブームがおとずれた。第一期は、改革開放後から1980年代にかけてである。中国と先進的国家との距離を縮めるために、国家は幹部や優秀な人材を国外に派遣した。これらの留学生は、帰国後には大部分が政府機関や科学研究機関で働くよう割り振られ、国家建設に大きく貢献した。

 第二期は、1980年代末から1990年代初期にかけてである。中国の対外開放が進むにつれ、英語能力試験「TOEFL」を通して国外の大学の奨学金を取得するなどして、個人でも留学することができるようになった。学業で成果を上げ、しっかりとした学問的基礎を持つ人材は、自分の能力によって国外の奨学金を取得し、次々に海外に留学していった。第三期は、1990年代中後期から現在にかけてである。この時機に留学生数は大幅に上昇しているが、留学の理由はさまざまである。中国国内の人材競争が激しいことから、海外留学への道もますます多くなっている。(写真は深センの留学生創業ゾーン)


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・天佑 (セン・テンユウ 1861−1919年)
 近代鉄道事業の専門家。12歳で米国へ留学し、木工工事と鉄道技術について学び、学士の学位を取得した。大学卒業後に帰国。中国が独自に敷設した初の鉄道である「京張鉄路」の敷設工事の指揮をとった。(1905−1909年)

梅貽g (バイ・イキ 1889−1962年)
 著名な教育学者。1909年に留学仲介機関「遊美学務処」の留学選抜試験に合格し、同機関からの第1期留学生として米国へ留学した。1931年10月から1948年12月まで清華大学の学長を務め、同学を国内外に大きな影響力を持つ学校へと発展させた。

趙元任 (チョウ・ゲンニン 1892−1982年)
 留学仲介機関「遊美学務処」の第2期留学生として、1910年に米国コーネル大学に留学。数学を専攻し、1914年に理学士の学位を取得。1918年にはハーバード大学で哲学博士を取得した。1925年6月により清華国学院の招きで同学の講師を務めた。指導科目は、現代方言学、中国音韻学、一般言語学など。「中国現代漢語学の父」と呼ばれる。

胡適 (コ・テキ 1891−1962年)
 歴史学、文学、哲学の研究に従事。1910年に渡米し、米コーネル大学農学院に留学。のちに同学文学院で哲学を研究した。1915年にコロンビア大学院に入学。1917年に帰国し、北京大学の教授を務めた。また、雑誌「新青年」の編集部に加わり、封建主義に反対する文章を執筆。個性の自由、民主と科学を宣伝し、「文学改良」と白話文学を積極的に提唱し、当時の新たな文化運動の重要人物となった。

竺可驕@(ジク・カテイ 1890−1974年)
 中国気象学者で、地理学者でもある。中国の近代における気象事業の主な創設者。
 1910年に渡米し、1918年に博士の学位を取得したのち帰国した。

 
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