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朱鎔基総理、アメリカを公式訪問

 

朱 鎔 基 総 理

 朱鎔基氏は一九五一年清華大学機械電力学部を優秀な成績で卒業し、奨学金をもらって学業を終了した。氏は母校に深い思いを込めている。一九八四年、清華大学は経済管理学院を設立した。国家経済貿易委員会副主任であった氏は同学院の院長担当の招聘状を快く受諾し、兼職教授と博士コース指導教官となった。一九九〇年、清華大学創立八十周年にあたり、氏は「贈り物を受け取らず、テープ・カットをせず、題字を書かない」というおきてを破り、母校のために「水木清華、春風化雨、養我育我、終生難忘」(大意は私を育ててくれた清華大学のことを一生忘れられない)というメッセージをしたためた。

 貧しい家に生まれた朱鎔基氏は、幼いころ両親をなくし、兄弟もなく、叔父に育てられた。叔父は母親の遺言どおり、全力を尽くして学校に行かせてくれた。叔父の恩に思いを致すとき、感激の気持がわき起こってくるのである。両親のいない幼年時代は一所懸命に勉強し、自力で進取する意欲に燃える性格をはぐくみ、逆境の中でも、運命にチャレンジすることを身に付けた。後日、人生の不遇に平然として対処し、不公平な扱いを受けても、その性格は変わらなかった。いつも自分の頭で考えるという信条を守り、恐れることなく心に思っていることを語り、大胆に直言している。

 朱鎔基氏は文学を愛好し、読書を趣味としている。文壇の大御所巴金氏の八十五歳の誕生日に、樹齢八十余年の松の木の盆栽を贈り、巴金氏に「私は魯迅を崇拝していますが、あなたのことも崇拝しています」と言った。朱鎔基氏の即席の演説に人びとは特別な感銘を受けた。それは氏の厚味のある文学的素養と切り離すことはできない。氏は京劇も大好きで、胡弓を上手に弾くことができる。

 朱鎔基氏は厳しい人だが、感情の豊かな人でもある。人格的魅力があり、ユーモラスである。一九九七年九月二十二日、朱鎔基氏は香港で開催された世界銀行と国際通貨基金第五十六回大会に参加した際、午後の中国経済発展ハイレベル・シンポジウムで、演壇に上がると、「今日の演説会の入場券は一枚千二百五十ドルで売られているそうだが、私の演説はその値打ちがあるかどうか分かりません」と言い、満場の人たちが爆笑した。いかにより多くの外国銀行に中国に進出させるかとの質問に答えたとき、朱鎔基氏は「中国で銀行を設立したいという方々には歓迎の意を表すが、しかし、あまり早く来ないでください。早く来てお金がもうからないと言って、私に恨み言を言わないでほしいからです」と言い終わるとまた笑い声が起こった。

 「朱鎔基氏のユーモアには機知に富んでおり、聞いている人たちは笑い声でその見解と態度を理解するようになっている。実に珍しい政治家だ」と香港のあるベテラン記者は感慨深く言った。

 一九九八年にアメリカのある著名なエコノミストが清華大学で演説した際、ある学生が、「朱鎔基氏とその改革をどう見るか」と質問した。そのエコノミストは「一九八三年に中国を訪れてから十五年経ったが、中国は大きく変わった。いまでも中国経済には多くの問題が存在し、時を得た解決が必要とされている。朱鎔基氏は大禹のように、中国経済のために河をしゅんせつし、ダムをつくっているのだと思う」と答えた。

 大禹は中国の伝説の中の古代部落連盟の首領であり、人々を率いて河川をしゅんせつし、用水路をつくり、農業を発展させた人物である。

 人口十二億の大国の政府首脳として、特に東南アジア金融危機の衝撃を受けた特殊な時期に就任した朱鎔基氏は大きな責務を担っている。就任したばかりの時、閣僚たちを戒めたように、政府の任務が重く、難度が高く、リスクが大きいというものの、展望は明るいものである。朱鎔基氏は将来性のある指導者であり、氏とその内閣も将来性のある内閣である。

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