2014年10月14日  
 

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「日本人八路軍」、筒井重雄氏が死去

人民網日本語版 2014年10月14日08:39
2012年7月29日、在日中国大使館で開催された、中国人民解放軍設立85周年を祝うパーティーで、「中国人民解放軍軍歌」を歌う筒井重雄氏ら。左から右にそれぞれ小林寛澄氏、水野正昭氏、筒井氏、在日中国大使館武官の徐斌少将。

 「日本人八路軍」として知られる筒井重雄氏が、中国人民の偉大な抗日戦争勝利の69周年の記念日まであと5日の8月28日、病気で亡くなった。享年94歳だった。同30日午後3時、長野県飯田市で盛大な葬儀が行われた。在日中国大使館の田培良参事官が来賓として最初に弔辞を読み、筒井氏が中国の抗日戦争と世界の反ファシズム戦争に果たした貢献を振り返った。人民日報が伝えた。

 筒井氏は1940年、中国侵略日本軍の南京に駐留する航空部隊に配属された。1945年1月、飛行機の故障で不時着した山東省泗水県の河原で八路軍の捕虜となった。その後、学習のために日本人労農学校の山東分校に送られた。

 筒井氏は、八路軍の根拠地で多くを経験し、観察し、思考し、真剣に勉強し、世界観を根本的に変化させた。中国に対して日本帝国主義が行っていた戦争が不正義の侵略戦争であることを知っただけでなく、このような戦争を永遠に消滅させ、日中両国の人民が永遠に友好的でなければならないことも悟った。

 筒井氏はまっすぐな人だったので、見つけた真理のためにがんばる覚悟を決め、八路軍に参加し、日本人民解放連盟に加わった。日本の軍隊の内部の事情によく通じ、日本軍兵士の思想や心理、生活習慣をよく知っていた筒井氏は、日本軍兵士の感情、故郷を思う気持ちや厭戦の情に訴えかけ、「皇軍必勝」という日本軍の神話を揺さぶり、日本軍の戦闘の意志をしぼませた。

 1945年8月15日、日本が敗北・投降した後、筒井氏は東北部に移動した。1946年9月、筒井氏は中国人民空軍の一員となった。航空学校は筒井氏を飛行教官に任じた。1946年3月に設立された「東北民主聯軍航空学校」では、1949年10月の中華人民共和国の建国までの3年半余りで、筒井氏ら日本籍の教官は120人のパイロットを育て、さらに14人の女性パイロットも養成した。ここで学んだパイロットたちは、中国空軍部隊を設立した際の中堅となった。


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