2014年12月2日  
 

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人民網日本語版

呉清源さんに対する思い出話

 2014年12月02日10:57

今朝、いつものようにニュースをチェックしたら、懐かしい顔が目に浮かんだ。

「呉清源さんが、30日午前1時11分、老衰のため神奈川県小田原市内の病院で亡くなった。100歳だった」というニュースだった。

囲碁の好きな弟のおかげで、呉清源さんの名前は高校時代から知っていた。囲碁界の大物だということである。初めて対面したのは、20年前の1994年の5月、NHKの旅番組で通訳を務めた時だった。

番組は呉清源さんのゆかりの地を旅するもので、出身地の福建省や日本へ行く前にしばらく住んでいた北京、そしてお兄さんが住んでいる天津を訪れた。

その時の呉清源さんはすでに80歳でしたが、杖をついていたこと以外は元気だった。私には北京語で話してくれて、大物というより近くに住むおじいちゃんというような親しみを感じた。自分が交通事故後にまた歩けるようになったのは、漢方リハビリのおかげだとおっしゃっていた。若者でも疲れを感じるテレビのロケ期間中、一回だけ「もう歩けない」と半分冗談をおっしゃった。私を驚かせたのは、その記憶力だった。小さい頃、日本へ渡った経緯などをはっきりと覚えていた。時には、お兄さんに記憶が間違っていると言われることもあったが、80代の二人が記憶を頼りに言い合う光景を面白く感じた。

激動した時代を100年生きた呉清源さんに関して、中国国内では議論があるが、現代の囲碁界に革命的な貢献をし、中日の文化交流に力を尽くしたことは間違いない。(謝東)

中国国際放送局日本語版 2014年12月2日


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