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呉清源から学ぶ「大国」の生き方

人民網日本語版 2014年12月08日09:34

100歳まで生きる。呉清源は言った通りにして見せた。「深入り」することもなく、引き際は鮮やかだった。

世の中は繰り返す。誰かがその生を終えると、生きている人が過去を振り返る。物理学者の楊振寧は、「呉清源にとっての碁はアインシュタインにとっての物理に等しい」と語る。「習近平国家主席がファンだと公言する李昌鎬と呉清源はどちらが強いか」。ネットではそんな話題も止むことなく続いている。

このような議論や評価を呉清源本人が気にすることはなかっただろう。「昭和の棋聖」にとっては、「中の精神」こそが棋の本質である。「何も欲さず何も求めない。呉清源の棋は打ち損じが少なく、あったとしても敗色につながるような大きな間違いではなく、さらに間違いは繰り返さない。これらは粘り強い民族性によるだけではなく、無欲を崇める平常心の賜物と言える」。江崎誠致は呉清源の勝利の道をこのように解説している。

だが「中」が勝敗に無頓着であることと捉えるのは絶対に誤解である。「私にとっての勝負と信仰は、人が水や火を離れて生きられないのと同様、どちらも不可欠なものである」。20年にわたって頂上に君臨したその戦績がなければ、呉清源は呉清源とは言えないだろう。

呉清源時代、黒番コミの規則がなかったことから、白番で挑戦する人は、何とかして新手を編み出さなければ、なかなか勝つことはできなかった。そのため呉清源や木谷実の一代は「三連星」を代表とする新たな布石を作り出し、「勢」を取ることを主旨とした手法で一世を風靡した。その後、木谷実の弟子である武宮正樹が、攻撃力の高さと局面を捉えるバランス感による「宇宙流」で「200年は消えない」と言われる流派を打ち固めた。

李昌鎬の時代になると、大コミの出現で保守主義が始まった。ある碁愛好者は、「呉清源は進取の碁だが、李昌鎬は保守の碁である」と評している。李昌鎬の信条は、進取を求めて下手を打つよりは、局面を守ってチャンスを待つというものである。少し劣勢に立たされるとしても絶対にリスクは冒さず、ワニのように潜んで対局相手が打ち損じるのを待つ。誕生日ケーキのように手に入れた大小の打ち損じが、李昌鎬の不敗の神話を作ったのである。


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