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50年前の中国人男性ペンパルを探す日本人女性 (2)

「いつかきっと会いましょう」という約束を果たしたい

人民網日本語版 2015年03月24日14:34

佐藤真理子さん

〇ペンパルの手紙をきっかけに、長春訪問を夢見た佐藤さん

佐藤さんは記者にメールで、彼女と李さんの文通の経緯を教えてくれた。彼らは1957年に文通を始め、1960年代まで続いた。日本と中国でお互い遠く離れていても、さまざまな困難を乗り越え、連絡を保ち続けていた。「当時、私たちは若かった。両国の状況、それぞれの仕事、生活の様子など、語り合うべき話題がたくさんあった。私たちは思うままに、自由に胸の内を語りあった。李さんはいつも、とても小さな字で、便箋5枚から8枚の手紙を送ってくれた。彼はとても能弁で、才気高く、日本語が非常に上手く、自分の考えを表現する上で何の問題もなかった。また、とても美しい字を書いた。だから、私は彼が大変優秀な青年だと強く思った」と佐藤さんは当時を回想しながら述べた。

李さんの住所から、1957年当時、李さんは長春第一汽車工場(当時)96棟に住んでおり翌年1958年3月に95棟に移り、さらに1960年には102棟に引っ越したことが分かる。「佐藤さんが保管している30数通の手紙から、李さんが日本語翻訳の仕事をしていたことが分かった。また、ロシア語も勉強しており、ロシア語翻訳の経験もあったようだ」と張先生。

2人は、お互いにやりとりした手紙の中で、自分の住む都市についても紹介した。李さんは、長春の通り、建物、四季の移り変わり、最も美しいシーズンや場所について、佐藤さんに教えた。佐藤さんは、そのような李さんからの手紙を読んで、長春が大好きになり、一度は訪れたいと強く願うようになった。「2人は、いつかきっと会おうと約束していた。その約束は、きっと叶えられる」と張先生は述べた。


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