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中国に対して友好的な日本人はどれほどの割合必要か?

「週刊!深読み『ニッポン』」第46回 

「週刊!深読み『ニッポン』」
 日本右翼保守派の中国に対するあらゆる非友好的言動は、日本の国家と民族の利益にとって一体どれほどメリットがあるのか?私はこの問題をずっと追究している。知り合った中国人や日本人に聞くと「メリットはない!」とほぼ一様に声を揃える。(文:周冬霖・中国中日関係史学会理事、中日桜花文化交流センター長)

 メリットがないのに、なぜ彼らは好き好んで飽きずにそうするのだろうか?

 最近、日本の対中友好人士、八島継男氏と会う機会があり、安倍政権発足以来の非友好的な対中姿勢について憂慮に満ちて語り、過去10数年間の日本社会の中国を刺激する度重なる言動を振り返ったのだが、意外にも八島氏の言葉に私は困難の中に希望を見いだした感を強くした。

 八島氏は「日本には1億3000万人近くの人がいる。その10%や20%が中国に対して友好的なら、それだけで十分だ。これほど多くの人が全員中国に対して友好的になるのは不可能だし、その必要もない。現在日本では対中友好を主張する日本人は20%を超えているはずだと私個人は考えている」と語ったのだ。

 このように視点を変えて中日関係を見ると、目の前がぱっと明るく開けたような感がある。

 八島氏は1934年2月に瀋陽で生まれた。1946年、日本の敗戦後の混乱の中で父は行方不明となり、母は12歳の八島氏を残して自殺。八島氏は独りで葫芦島から引揚船に乗って日本に戻った。大学進学時に「中国文学」科を選択したのは、こうした特殊なゆかりのためかも知れない。1959年に就職後、ずっと日本の海外協力事業団(現在の国際協力機構の前身)に勤務し、対外経済開発援助の技術協力事業に携わった。1982年にJICA中国事務所の初代所長および設立者として、対中技術協力事業に携わり始め、1992年に定年退職するまでの10年間、中日友好病院、中日青年交流センター、中日友好環境保護センターなど数十億元規模の対中建設援助事業を担当し、日本青年協力隊のODA事業複数を中国に導入した。定年退職後もJICAに再び戻り、中日友好環境保護センター専門家チーム長として、1995年の退任まで中国で勤務した。13年間の中国での勤務が仕事上の理由によるものだったとするなら、退任から現在までの18年間は、純粋に自身の真の気持ちに基づき、中日両国で勤務していた期間に蓄積した人脈を活用して、中日友好交流・協力に主体的に尽力してきた。この18年間に八島氏は中華環境保護基金、中国生物多様性保護基金、北京市環境保護基金、および重慶市、寧夏回族自治区、四川省、湖北省、陝西省の科学技術機関や環境保護機関と協力して、日本国際善隣協会国際交流委員会委員長として、日本の小渕基金、JICA中日基層友好協力型事業、地球環境基金から支援を取りつけ、中国各地で数十件の科学技術交流、環境保護関連の事業(累計2000万人民元以上)を実施し、中国政府と事業協力組織から好評を得た。八島氏は中国政府「友誼賞」、中国国際協力賞など外国人に対する様々な奨励賞を相次いで受賞した。

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