2014年7月22日  
 

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「中国のおばさん」は国の欠点を誤魔化すための存在ではない (2)

人民網日本語版 2014年07月22日08:20

「中国のおばさん」のさまざまな行為について、冷静な気持ちで、大きな視野から考えてみると、異なった結論が得られるかもしれない。混み合った路線バスや広場舞の騒々しさは、社会資源や公共サービスをめぐる「関連部門」の至らなさによるものではないだろうか。特売の卵の奪い合いや何とか得しようという態度は、中国における養老制度の不備を反映しているのではないのか。年金の交付水準を示す「所得代替率」が低いと「専門家」は口を揃えるが、本当に実益を得られるのは年金保険を納付していない人々だけだ。一生身を粉にして働いた揚句、ほんのわずかの「基礎年金」を頼りに細々と生計を立てている身としては、1円でも安いものを買いに走りまわるのは当然ではないだろうか。

客観的に見ると、これらの問題を解決するには、いくつかの段階を経る必要がある。ただ、まずすべきことは、病巣から眼をそらさず、ちゃんと正視することだ。その上で、解決方法を探っていかなければならない。「中国のおばさん」のレッテル化に続いて、10年前の「1980年代生まれ」や現在の「1990年代生まれ」についても、「堕落世代」というレッテルが貼られ、上の年代の人が若い人について話す際の慣用語になっている。この行為こそが、個別事象を一般化する「レッテル化」だ。だが、高度な文明をもつ社会において、さまざまなグループは互いに尊重し合い、「違いは違いとして残しておき、共通点を得るべく努力する」姿勢を持つべきである。ある特定のグループの問題がかなり深刻な場合、ある社会資源をさまざまな年齢グループに配分する際に、何らかの不平等が発生するが、そのような事象について、「特定のグループに問題が生じた」と言うことはできない。これは、制度上の責任と社会の民衆全体の道徳問題を、発言権を持っていないグループに押し付けた結果といえよう。

今の社会のさまざまな問題を解決する上で、その原因や責任を特定のグループに押し付ける必要はない。「中国のおばさん」を真正面から捉え、背景にある社会制度や計画をじっくりと読み解くことは、「ツッコミを入れる」より、見えてくるものがずっと多い。というのも、どの家庭にも、「中国のおばさん」は存在しており、我々自身も、次に「レッテル化」されるグループに入る可能性があるからだ。「中国のおばさん」をレッテル化する一方で、我々自身もレッテル化されようとしている、あるいはすでにレッテル化されていないか、考えるべきではないだろうか。「中国のおばさん」は、社会資源や公共サービスの不備を誤魔化すための存在ではなく、元気が回復し、意識が目覚めるような脳の特効薬であり、我々の「傍観癖」を治してしてくれる存在なのだ。(編集KM)

「人民網日本語版」2014年7月22日


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