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西園寺一晃先生インタビュー「歴史を忘れてはならない」

西園寺一晃先生

 西園寺一晃先生は現在、東京都日中友好協会副会長、日本工学院大学孔子学院院長などを務めている。1958年から1967年まで北京で暮らし、帰国後は朝日新聞社に入社して、中日友好事業に長年携わってきた。父の西園寺公一氏は参議院議員を務めた日本の政治家で、1958年に日中文化交流協会理事、アジア太平洋平和理事会副理事長に就任。中日国交正常化前の中日民間外交の先駆者であり、民間大使と呼ばれた。中国在住時(1958-1970年)には毛沢東主席、周恩来総理と親交を結んだ。人民日報海外版が伝えた。

■忘れがたき少年時代の記憶

 41年前の9月25日、田中首相が中日国交正常化の準備のため訪中した。西園寺先生は国交樹立時の状況をはっきりと覚えている。「私たちは国交樹立の歴史を忘れてはならない!周総理はかつて『水を飲むときには、その井戸を掘ってくれた人を忘れない』と厳かに述べた。これは中日友好事業に努力を払った全ての人を評価するものだ」。

 西園寺先生は「1958年に私たちが北京に到着して間もなく、周総理夫妻が中南海の西花庁で私たち一家を接見し、食事を共にした。その時、周総理は私に2つの事を伝えた。1つは『君はこれから北京で暮らすことになるが、広く交友関係を持ちなさい。そうした友人は、必ず君の貴重な財産になる』。もう1つは『これから北京で暮らす中、君は様々な人や物事を見聞きするだろう。中国には良い所もあれば、良くない所もある。もし欠点、不足、誤りを見つけたら、遠慮せず、率直にお父さんに話しなさい。私は外国の友人からお世辞を多く聞いてきたが、それらは好きではない』」と当時を振り返った。

 まさにこうした経験によって、西園寺先生の心の中に、中日友好のために努力する使命感が芽生えた。「帰国後私は朝日新聞社に入社し、本当の中国を日本の民衆にできる限り伝えた」。

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